しがない小エビの住処

海の底からお送りしております。小エビが好きにしゃべるだけの場所です。

庭の樹に関する考察

お久しぶりです。しばしROM専に戻っていたのですがいても立ってもいられず筆を執っている次第です。ルカと申します。

 

Maze No9.ファイナル。数ヶ月間に渡るツアー、お疲れ様でした。私は生放送から視聴していたのですが、約2ヶ月ぶりにライブの臨場感を味わえたこと、また初っ端から新しい衣装をぶちこまれて悶絶しておりました。

 

さて、お話は件のファイナルで披露された新曲についてです。通算5枚目のアルバムに収録される新曲。

 

私はこの曲を花風の続きかな、と考えています。

それをなんとなく、本当になんとなくではあるのですが言葉にしてみました。まだ歌詞カードはおろかアルバムも発売されていないため、何もかも私の妄想です。あらかじめご了承ください。

 

(これをまとめ終わるまでタイムラインは極力見ないようにしよう………!と決めてはいたのですが、どこかネタが被ってしまっていたら申し訳ございません)

 

それでは以下、放送で披露された新曲のネタバレ等々含みますのでご自衛ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


続きではないか?となぜ思い至ったのか。実をいうとはっきりと明言することができません。本当に申し訳ない……!

 

ただ、「庭の樹」という楽曲を初めて聴いたとき。私の中に漠然と花風が浮かんできました。

 

リスニング能力が著しく不足しているため英語箇所は省略させていただいています。(I will pray be for your love.かなと思ったりもしたのですが如何せん自信が持てない)


何度奇跡を待ったのでしょう。もう帰らぬ日々の木洩れ日。一人で生きた。最後に託された言葉。
なんとなく聞き取れた(推定の)言葉を並べてみると冒頭からもうベクトルが違うのではなかろうかと感じます。寂しくなってくる……

それなのに結びついてしまったのは、「はじまり」と「おわり」が同じ線上にあるからかなあ…と思います。


花風の「僕」はこう言っていました。一秒でも長く生きたい。君を一人にはさせないから。

そしてこうも言っていました。一秒だけ先に死にたい。君はもう一人じゃないから。

たくさんの花と人に囲まれて。笑いながら最後まで「愛してる」って言うよ。

一生をかけて伝えられたなら、この人生に悔いはない。

 

ウェディングソングとも呼べるであろう花風でも触れられていたこの「おわり」の部分。これは「僕」の中にある幸せなおわりだったのかなと思います。

結婚式のときにお話しするみたいな、こうありたいな、こんな風に二人で生きていけたらいいね。っていう未来のかたち。


花風の二人は遠距離恋愛の二人でした。離れる寂しさを人一倍分かっている二人。だからこそ「僕」は君を一人にさせたくなかったし、君と離れたくなかった。~したい、の願望形がそこなのかな、と。

 

庭の樹はその先の姿をゆっくりと追っていってるのかなと思います。

 

現実は一秒なんてものじゃなくて、君と一緒に生きたのと同じくらいの時を一人で生きた。(この曲が「僕」目線なんて確証はどこにもないのですが、ここでは曲の視点を「僕」と仮定して進めさせて頂きます)

 

ぽつりと一秒だけ先に、なんて言うくらいだから君がいないのは「僕」にとってやっぱりとても寂しいことなんだろうなと思います。


同時に「君がいない」という言葉のニュアンスに違いを感じました。


たじファンの頃。遠距離で恋をしていた頃、傍にいない君はそれでも遠い場所にいました。会えないけれど、深夜バスに乗ってクリスマスに会いに行けました。

 

この時間軸の君はおそらくもう、どこにもいない。店先を覗いても人混みを探しても、待合所にも交差点を見ても、君はこの世界のどこにもいない。
目で追いかけたとしてもそこにいるのは君じゃない、似た誰か。

この対照的な部分が私の中で花風と庭の樹を繋いだのかなと思います。


この時点で「僕」の中にはまだ君の名残がありました。
姿を探して似た誰かを目で追いかけてしまうくらいには君のことをまだちゃんと覚えています。

 

それが二番に入ると移ろいでしまう、消え去ってしまうといった言葉に変わります。鮮やかな実をつけた木はいつしか一つしか実をつけなくなりました。
随分年老いたようだ、という言葉通り、このことから一番と二番との間に多少の時間差が生まれていること。また、「僕」が君を忘れ始めていることが窺えます。

 

朝凪:朝、陸風と海風が交替する時、一時無風状態になること。
夕凪:夕方、海風と陸風が交替する時、一時無風状態になること。
Google検索より引用)

 

一番で「どこにいるの」と呟いていたのが、二番では「そこにいるの」に変わっている。
君の姿を探さなくなっている、もしくは探せなくなっている。君がいないことを時を経た「僕」が受け入れたのかなとも思いました。
それでも奇跡を待っている。いないと分かっていても、奇跡を待ち続けている。

こんなの泣くしかない。

 

「綺麗だった」でどうしても彷彿としてしまうんです。花風の彼を。
君のことが大好きで、おはようもおやすみもいってきますもただいまも独り占めしたかった彼のことを。

時間が経って君のことが記憶から零れ落ちていってしまっても、何度だって思い出せる。そしてきっと、そのたびに何度も好きになるんだろうと思います。

今日の君を忘れない、に少しだけ呼応しているのかな、とも。

 

これを打ってるときに気付いたのですけれど
泥って水を含んだ土のことじゃないですか。
日差しってつまり日光じゃないですか。
青々と踊るのは草花で。

………そういうところ!!そういうところですよ!!!!!(泣)
とはいえ、少々深読みを拗らせている私です。
たとえ繋がりがないとしても、宝石のように小ネタが散りばめられているだけでもう胸がいっぱいになってきますよね。

 

最後の受け答えの言葉が変わったのは本当に君がいたからではないかと思います。
きっとそれは幻じゃなくて君はちゃんとそこにいてくれた。
欠かさずに手入れした指輪が輝いて。名前を呼んだら頷いた君の手を取って。

もういいかい、まだだよ。は君のところへ行ってもいい?
まだダメだよっていう押し問答にも思えます。

もういいかい?まだだよ
一人は寂しい。だって夜行バスに飛び乗って会いに行っちゃうくらい。会いに行きたい、もういいかい?

もういいかい、もういいよ
何度も何度も尋ねて、そのたびにまだだよと突き返される。
もちろん返事はなかったのだろうと思いますが、君に会えないことが何よりの証明ではないでしょうか。だから「まだだよ」が「もういいよ」になったとき、一番びっくりしたのは彼なんじゃないかなと思います。

個人的な見解ですが、この後のもういいの(メンバー数人で歌い分けていくパートの最初の箇所)は疑問形な気がします。

もういいの?
もういいよ。

そっか、もういいのか。
うん、もういいの。

みたいな感じ。

「ずっとこの手を離さないでくれてありがとう」と絡めるならこの後は「もう二度と離さない」かなあ…と思います。

 

そんなこんなで考察を終わりたいと……思います…………

強くはなれないと言いますけど、十分強いじゃないですか……!
だって手入れしてるじゃないですか、彼。指輪。きっと見るたびに思い出すだろうに、輝きはしないと思いながらそれでも欠かさずに手入れしてるじゃないですか。
しかも「並べても」でしょう?二人分……?

 

いっぱい待ったんだね、いっぱい願ったんだね……でも大好きで一緒に居たかった君はもうどこにもいなくて、ふとした瞬間に探しちゃって目で追うけどどこにもいない。それでもこの曲が悲しいメロディーじゃないのは、寂しくても「僕」は幸せだったからかなと思います。


湿った土の上に降り注いだ日差しは苗木や草花を育み。
咲き誇った花を鳥たちが別の場所へ運んで、また新しい土地に草花が芽吹く。

 

何度も仮定してしまうのですが、散りばめられた小ネタを

MW/失う悲しみ
NS/前を向くこと
FW/幸せな記憶

といった風に捉えるのなら。そしてこの曲が幸せな記憶の先にある物語なら、離別、悲しみはマイナスな感情しか生まないなんてことはないんだよー。……といった示唆なのかな、とも思ったり。

 

いや、長い!長々と失礼しました!!
ここまで見て頂いた方がいらっしゃいましたらありがとうございます。
アルバムが楽しみですね。パシフィコ埋めるぞ……!!